犯罪の抑止効果 「羞恥心」に訴える。

「相次ぐ大学生の集団暴行 厳罰化も歯止めかからず」

「犯罪の抑止効果を狙って厳罰化」という流れがある。

しかし、いくら重くしても、罰金は罰金、懲役は懲役でしかない。

犯罪者は犯行を犯す時、捕まることを想定しない。
イメージしにくい罰、しても欲にはかなわないしね。

懲役なんてのは、言ってみれば塀の中で働かされるだけ。
ものによってはちっとも応えないのだ。

この際、罰の「量」ではなく、「質」を考え直してはどうか。

「羞恥心」に訴える。

つまり、メチャメチャ恥ずかしい思いをさせてやる。

重罪を犯した者は大衆の前で2時間、自分が犯した罪に対する反省の弁を述べさせる。

うつむき、どもり、震え、あるいは泣いて、さらされる犯罪者たち。

一旦、壇上に立たされれば、ヤクザも詐欺師も皆、まな板の上の鯉である。

興奮してわめこうが、観衆は動揺せず、ただ黙ってそれを「観察」し続けるのだ。

名前も顔ももっとハッキリ露出しよう。
その恥ずかしい姿と合わせて、どんな有名人よりも有名にしてやれ。

「捕まえられるものなら捕まえてみろ!」と罵った振り込め詐欺犯が捕まったとき、奴らの末路がどうであったか世間に知らしめなくては片手落ちというものだ。

普通に暮らしている人たちが「ザマァミロ!」と言える瞬間がなくては、世の中、暗くなるばかりじゃないか。

死刑廃止論ではないが、死刑でなくとも

「二度とこんな目に遭いたくない。」

という刑罰であれば抑止効果も上がるかもしれない。