公職選挙法違反で思い出した。
いまだに納得できないものがある。
鹿児島県議選の公職選挙法違反容疑で住民らが逮捕された、いわゆる「志布志事件」。
鹿児島県警の「踏み字」や自白の強要、数ヶ月から1年以上にわたる異例の長期勾留など、違法な取り調べ手法ばかりが問題視されているようで、すごく不満だった。
冤罪が晴らされることは無論だが、
なぜ鹿児島県警がこのようなことをやらなければならなかったのか。
という肝心なことが全然あきらかにされなかったから。
アリバイを無視したり、完全に事実無根の容疑をデッチあげ、大量の逮捕者を出すような無理筋をしでかしてまで、何がやりたかったのか?
結果、すべての冤罪は晴れ、無罪判決を受けて、当時の県警本部長が謝罪するものの、そもそも事件は警察による捏造ではないかとの指摘については否定。
じゃ、何だったんだ?
事件の根拠追求は、表向きこれで終わってしまっているらしいので推測するしかない。
以下、志布志事件 – Wikipediaより。
2003年当時、鹿児島県議会曽於郡選挙区は定数3で自民党公認の現職3名が無投票で再選される見通しとなっていた。ところが、志布志町議会議員であった中山が無所属で出馬したことにより一転して4名による激しい選挙戦が繰り広げられ、中山は3位で当選(後に自民党会派へ参加)。自民党現職の市ヶ谷誠が次点となり落選した。
(中略)
この集落は、自民党所属で当選7回(当時)の県議会議員・森義夫が強固な地盤を築いていたことで知られていた。森は捜査を指揮した警部(当時)と20年来の親交が有り、捜査開始前に警部が森を尋ねたのを始め度々、情報交換を行っていたことが取材により判明している[1]。
■事件、その後
公選法違反の容疑をかけられた中山は鹿児島県議選で旧・曽於郡区を分割して新設された志布志市・曽於郡区(定数1)より無所属で出馬し、2004年の補選で敗れた市ヶ谷ら2名に勝利し県議に復帰した。
森義夫が曽於市内で交通事故により死去。4月の県議選において旧・曽於郡区を分割して新設された曽於市区(定数1)で8選した後2ヶ月弱での事故であった。享年73。
捜査を指揮した元警部補は「一身上の都合」を理由として県警を依願退職。当初は退職金の支払いが予定されていたが、特別公務員暴行陵虐罪で在宅起訴されたことに伴い支払いは差し止められている。
とりあえず、収まるべきへ収まったのかな?