対米追従の始まり

めざましテレビ9.24より

小池政行(外交評論家)
「1960年に岸信介首相が日米安保条約を改定した。
ここで、より日本がアメリカにできるだけ協力してあげようという形になってきた。
アイゼンハワー大統領との首脳会談で結ばれた。」

旧安保条約はアメリカが日本を守るだけの内容だったのに対し、
新しい条約は在日アメリカ軍に対し、土地を無償提供することを盛り込むなど、日本がアメリカを支援することが加わった。
このときから対米追従路線が始まった。

小池政行
「さらに中曽根総理が「ロン・ヤス」関係で
日本の法的な制約の中でアメリカの望むことは何とか実現させていこうとした。」

レーガンとの間に「ロン・ヤス」と呼び合うほどの親密な関係を築いた中曽根元総理は、1983年に行われた首脳会談で、「日米両国は運命共同体」と発言。
当時、貿易赤字に陥っていた、アメリカの要求を受け入れ、日本の企業に、アメリカ製の飛行機やコンピューターを大量に買うように呼びかけることまでした。

その金額は15兆円以上。
さらに、2001年9月、アメリカ同時多発テロを受けて、行われたブッシュ大統領との首脳会談で小泉首相がインド洋での自衛隊による給油活動支援を決定。
その後、イラクへの派遣を行うにまで至った。

半世紀にまで渡って続いた対米追従路線。

今後、鳩山総理がどこまで変えていけるか注目が集まっている。
防衛省の予算として数字が出ている1978年から2009年まで、32年間の思いやり予算は5兆6000億円。

日米首脳会談のポイント

○日米同盟について
○アフガニスタン・パキスタンテロ対策
○核軍縮・核不拡散の連携
○北朝鮮問題
・地球温暖化問題

○=マニフェスト
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「アメリカと信頼関係を結ぶ、結べた」と日本(の政治家)が言っても、
対等な関係は一度としてなかったし、取り立ててアメリカ重視を叫ぶこの手の政治家ほど、実質的にこの主従の関係を、より際立たせて、対等とは反対の方向へ誘導していった。

しまいには、
「アメリカは日本がいなくてもやっていけるが、日本はアメリカがいなければ成り立たない」などと口にしてしまうんだから憤慨ものだ。

相手にカードを与えて、自分のカードはフルオープンみたいなことばかりやっているように見える。

日本には、駆け引きやケンカのできる政治家なんていたのだろうか?