【足利事件】国家権力は常に罪の上塗りをする

「足利事件の捜査指揮 元県警幹部ブログが炎上」

元県警幹部のブログで昨年2月13日付けの記事で、足利事件の再審請求を宇都宮地裁が棄却したことについて

「捜査に携わった者として、感慨無量であります。当時として、最高、最善の捜査を尽くしたものであり、誤りでないことを再確認していただいたものと思っております」

などと棄却を歓迎する感想を記し、新聞記事を複製した画像も掲載した。

冤罪という罪

冤罪被害者の直接的な被害は言うに及ばず。

警察は真犯人を捜すより、犯人をつくるほうが楽。

一度軌道に乗ると、間違いがあってもそれを正そうという機能が働かず、警察も裁判も積極的に冤罪を推し進める。

論理的に過ちを指摘されても、自ら認めようとしない態度。
意図的にでっち上げているのか?

再鑑定はもっと早くできたはず。すぐに応じない姿勢、制度。

冤罪被害者への謝罪、補償に消極的。

一般的に、デッチアゲをした当事者達の罪の追及がなされない。

この事件に世間の目が注がれなかったら・・・。
犯人のDNAが残っていなかったら・・・。

時効が有効→
真犯人を取り逃がす→
事件の被害者遺族への苦悩の追い討ち。真犯人は他の事件を犯しているかも。

現職の警察官がひったくりをして捕まれば、謝罪会見をするが、事件や犯人を作り上げた場合に謝罪はなし。

慣習がないだけとは思えない。確信犯だからか?

これを見ると冤罪は人の目のないところでどれだけ発生しているかわからない、と思えてくる。

過ちを認めるということに関して、国家権力は常に後ろ向きだ。

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