「当たる霊能者」も本当は・・・

占いにも不況の影「正社員になりたい…」「会社たたむべきか…」

「転職しても大丈夫か」
「会社をたたみたい」

普段は女性客が多い街占いも、不況になると男性客が増え、男女問わず、転職や就職など、仕事運の相談が増えるという。

最近、全国の占い師を潰してやる。などと裁判で暴言を吐き、逮捕されたのがいた。

占い師によって不幸にされたのか、この男がどんな執念を燃やすのかは知らないが、好不況どちらでも占いがなくなることはあり得ない。

占いにも色々あって、人の悩みの聞き役としての役割。
これは元々が当たるも八卦…。さほど罪はない。

もうひとつが、
常識を超え、神がかりに当たるもの。
時としてこちらが人を不幸にする場合も。

神がかりの占いには霊能、インスピレーションが根底にあり、占術の手続き、ノウハウは儀式にすぎない。力のない者が、手続きだけを真似ても意味をなさず、無能である。

人相見はあくまで「人の相」(今風に言えばオーラ?)を見るので、ホクロの位置がどうとか鼻の造りがどうとかいうのは到底「神がかり」には達しないだろう。そこで…。

●霊能の話。
「行方不明者を探して欲しい」と依頼された、ある寺の住職の予言通りの場所から遺体が発見された。この後、この住職は自らの霊能に自信を持ったのか、看板まで出して宣伝し、商売を始めた。(実話)

しかし、この後、この住職が何をしたのか?
霊能によって再びマスコミを騒がせた気配はまったくない。

この人物のように、有名にした事件以降、特別な働きをしないケースは多い。
霊能があるなら、未解決事件を片っ端から解決して欲しいものだがそうはならない。
なまじ、実績があるだけに相談者は多い。これが不幸な話。

●盲点について。
「霊能」とは、霊の存在を前提にしたものである。これを踏襲しつつ続けると・・・。

劇的に事件が解決したからといって、必ずしも「霊能者の能力が優れている」とは限らない。

先の例では、
遺族に頼まれた住職に、「死者の霊が」コンタクトをとって自らの居場所を伝えたとするなら

「死者の霊の力が強かったからこそ、住職に遺体のありかを教えることが出来た」
と考えることもできる。

つまり、今後、この住職が霊能者としてなんら力を発揮できずに
看板倒れになっても、まったく不思議ではない。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする